リンゴ・スター(生い立ち~ビートルズデビュー)
1940年7月7日、リヴァプール生まれ。本名リチャード・スターキー。父親の名前もリチャード。職業はパン屋だった。
母親の名前はエルシー。一家が暮らすディングルと呼ばれる地区は、リヴァプールのなかでも最も治安の悪い場所だった。
父親はリンゴが3歳のときに家を出て行ってしまう。リンゴは6歳のときに腹膜炎をこじらせて入院、退院後も療養生活が続き、
合わせて2年余り学校へ行けなかった。さらに、13歳のときに肋膜炎になり1年間入院。この入院中に医者に教えてもらったのがドラムだった。
そして、院内のバンドに加入したリンゴはドラム以外のものはどうでもよくなっていったという。退院後、ドラム・セットを手に入れたリンゴは、もう学校へ戻ることはなかった。
昼間は工場で働き、夜はダンス・パーティーなどでドラムを叩くというセミ・プロ生活を送っていたリンゴは、数々のグループに在籍して腕を磨く。
セミ・プロで終わることを潔しとしなかったリンゴは、地元No.1のグループ、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのオーディションを受け、結果はみごとに合格。
ギャラで車を買ったリンゴは、みんなの羨望の的だった。そして、バンドとともに遠征へ向かう。遠征地、バトリンズ休暇村で芸名を思いつき、以後、リンゴ・スターと名乗るようになる。
ハリケーンズのステージでは、リンゴをフィーチャーするコーナーもあり、リンゴは当時から絶大な人気があった。
リヴァプールNo.1のプロ・バンドであるハリケーンズに比べ、メンバーも固定しないビートルズはそのころ、まだ子どもだったとリンゴは回想する。
しかし、ドイツのハンブルクでビートルズと再会すると、演奏力が格段にアップしているのに驚かされることになる。
ハリケーンズはビートルズと同じステージに立つこともあり、リンゴは出番が終わると酔っぱらってはビートルズにスローな曲をリクエストしたという。
ビートルズのメンバーの印象は「あいつには気をつけろ」というもので、そのころのビートルズのメンバーは、リンゴをホンモノの粗暴なテディボーイだと思っていた。
しかし、もともと同じ波長を持つリンゴとビートルズが仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
当時のビートルズのドラマー、ピート・ベストの代わりにリンゴがビートルズのステージでドラムを叩くことも多々あり、
ジョージ・ハリスンは、リンゴのほうがしっくりくるとそのころから感じていたという。徐々にリンゴはビートルズと演奏する機会が増え、
リンゴのほうもビートルズに魅力を感じていく。ついに1962年、リンゴはデビューの決定したビートルズからバンドに誘われ、ここに本来の姿のビートルズが誕生する。
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