ジョンレノン(生い立ち~クリオーメン結成)
1940年10月9日、リヴァプール生まれ。第2次世界戦下、ドイツ空軍によるイギリス本土爆撃の最中に産声をあげる。
父親の名前はフレッド、職業は船上のウエイターだった。母親の名前はのちにビートルズの曲名にもなるジュリア。
ジョンのミドルネームは「ウィンストン」で、これはイギリスの英知ある首相、ウィンストン・チャーチルにちなんでつけられたもの。
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ジョンが生まれたとき、父親は航海中で不在、母親は別の男性と暮らしていたため、ジュリアの姉にあたる伯母ミミと夫ジョージのもとで育てられることになる。
両親と別居とはいえ、ミミとジョージの愛情と、近所に住むたくさんの親戚、そして伯母の家にあったたくさんの書籍とともにジョンは豊かな幼少時代を送る。
5歳のときに行方不明だった父親が突然姿を現し、ジョンを引き取ろうとするも、「父さんと母さんとどちらを選ぶ?」という父親の問いかけに、ジョンは母親を選ぶ。
このできごとはのちのちまでジョンの心にトラウマとなって残ることになる。
ジョンはラジオの雑音に混ざって流れてくる1954年デビューのエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」に釘付けになった。
そのころ、母親が近所に住んでいることがわかり、頻繁に訪れるようになるが、理由のひとつに母ジュリアがラジオでロックンロールをよく聴いていたということもあった。
しかも、ジュリアはバンジョーを弾くことができ、ジョンは通信販売でギターを買ってもらい、コードを教わった。
念願のギターを手にしたジョンは、ファッションもエルヴィスを真似して髪型をリーゼントにし、大きな襟のシャツを着るなど、
いわゆる当時の不良少年、「テディボーイ」になっていった。そしてついにハイスクールの悪友、ピート・ショットンと念願のバンド「クオリーメン」を結成。
ジョンはヴォーカルとギターを担当。教会のバザーで行なったライヴで、共通の友人の勧めでステージを観に来ていたポール・マッカートニーと出会う。
ジョンはポールのギターの腕前とヴォーカル、そしてルックスがエルヴィスに似ていたことでひとめ惚れをした。
しかし、自分と同等かそれ以上であるポールをバンドに入れることは、リーダーとしての自分の地位をも危うくすることを意味した。
ジョンは悩んだあげく、音楽的向上を優先し、ポールをバンドに迎え入れる。
ジョンはのちに「僕のミュージック・シーンにおける最大の貢献は、ポールを発掘したことだ」と語っている。
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